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茗荷谷駅南2本目陸橋より北(小日向)目前伊藤弥兵衛屋敷跡

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写真: 茗荷谷駅南2本目陸橋より北(小日向)目前伊藤弥兵衛屋敷跡

写真: 茗荷谷駅南2本目陸橋より南(小日向)目前 千田源三郎屋敷跡 写真: 14.04.03.旧竹早町(文京区小石川)

mixiアルバム「文京区小日向4丁目/深光寺・林泉寺・伝明寺(藤寺)」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000054052696&owner_id=32815602
2012年03月21日 10:32

11.04.28.
●清水山松林院深光寺――
じんこうじ。
寛永16(1639)年創建。
浄土宗。
墓地内には、南総里見八犬伝の作者滝沢(曲亭)馬琴の墓。
小石川七福神、恵比寿天。

●青龍山林泉寺――
慶長7(1602)年開基。
曹洞宗。
しばり地蔵ともいわれている地蔵は、開基 伊藤半兵衛長光が、両親の供養のために寄進した物で、33世林泉寺住職 江田和雄和尚によると「寺社奉行が、町民の不満対策のために地蔵を縛らせることで解消させようとした」と推測している。
願掛けのために地蔵を縛り、願いが叶ったらほどくと言われていると江戸砂子に書かれている。

●伝明寺(藤寺)――
でんみょうじ。
子細不明。
曹洞宗。
「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり」(改撰江戸志)。
東京名所図会には、寺伝として「慶安三年寅年閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」と記事がある。1650年、3代家光が鷹狩で訪れたところ、見事な藤に感動して、藤寺と名乗るがよいと言った、と書かれている。
かつては富士山も望めたので、富士坂とも記されていたようだ。
続江戸砂子では、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、「ここの伝明寺には銘木の藤あり。一帯は湿地で、禿がいて、禿坂ともいわれた」。
禿とは河童のこと。実際にいたわけではない伝承┐(-ε-)┌
名水「観音水」の湧水地で、かつては飲むこともできたそうだ。名水巡礼東京八十八ヵ所。
街の再開発でその名水が湧かなくなってしまったそうで。檀家の方々は名水の復活を願い、観音像の祀られた手水に今も花を供え手を合わせているそうな…。


●戸田淡路守――
美濃大垣藩3代、戸田氏西次男。
分家 戸田氏利(6200石の大身旗本)の養子のち、継嗣。
兄 氏定より新田3000石を分与されて1万石の大名となる。
大垣新田藩 藩祖。
浅野長矩の従弟にあたり、元禄赤穂事件の折には、連座処分で3ヶ月の出仕停止処分に。
拓殖大学敷地。

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